一本の樹から始まるまちづくり

兵庫県立大学教授 田原 直樹

樹木の存在感

まちの緑のゆたかさと言うと、とかく一人当たり面積など量的な話になってしまいがちだが、緑の価値は量だけで測れるものではない。たった一枚の葉に人を癒す力がそなわっていることは、オー・ヘンリーの小説「最後の一葉』に描かれている通りである。もとより緑を増やすことには大賛成だが、量では測れない面に目を向けることなしに真のゆたかさを実現することはできまい。

一本の樹木が人に感動を与える。このことは、決して便利なところにあるとは言えない縄文杉を見るために、どれほど多くの人が足を運んだかを考えればわかると思う。考えてみれば、ただ大きいというだけの樹木が、なぜこれほどまでにもてはやされるのか。こうした疑問は巨樹を目の当たりにすると雲散してしまう。圧倒的な存在感に打たれた経験をもつ人は少なくないのではないだろうか。

地域のシンボルとしての路傍樹

戦前の地図に鍵のような形の見慣れぬ記号を見つけたことがある。凡例をみると独立樹とあった。なぜ一本の樹木がわざわざ地図に記載されているのか、そのときは不審に思ったのだが、後で考えてみると、当時は高い建物が少なかったことに思い至った。きっと格好のランドマーク(目印)だったのだろう。樹木の存在は現在とは比べものにならないほど大きなものだったに違いない。

そんな地図に載せてもいいような樹木が、今でも大阪の谷町筋にある。地元では「楠さん」と呼ばれており、注連縄(しめなわ)と樹下の小祠がご神木であることを物語る。高い建物が建ち並ぶ現代の都市にあっては、もはや遠くからでも見えるというわけにはいかないが、道路の真中に樹木が立つ様子は、そこだけ別世界のように異彩を放っている。調べてみると、大阪市内には、こうしたご神木が30本あまりあることがわかった。いずれも地域のシンボルとなるような樹木である。道路敷地に立っていることから「路傍樹」と呼ぶことにした。

都市計画が路樹を生み出した

あきらかに交通の邪魔になっているはずの路傍樹が、なぜ切られないで存続してきたのか。「楠さん」の場合、かつてはお寺の敷地内にあった一本の樹木が、道路拡幅でお寺が移転することになったとき、道路予定地に取り残されたらしい。本来であれば切られるはずのものが、存続したのは近隣住民の運動であった。興味深いことに、路傍樹の多くは、もとからご神木だったわけではなく、街路事業などの結果として生まれたのである。都市計画が路傍樹を生み出したという見方もできるが、それはさておき、路傍樹は近隣のコミュニティによって守られているのである。

一本の木が人びとを結びつける

しかし、見方を変えれば、路傍樹の存在がコミュニティの結束を高めることに寄与している、とも言える。人間よりずっと長く生きる樹木は、世代を超えた拠り所ともなり得る。武蔵野市では、百年後に「すべての小学校に巨樹がある」ことをめざしたという。巨樹を見ていると、一本の木から始まるまちづくりを夢想してしまう。緑のゆたかさとは、こうしたものではないだろうか。

平成20年(2008年)4月 花緑センターだより 4号より

花緑センターだより

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