阪神・淡路大震災から20年を経て 第2回 花緑活動のさらなる広がり
まちづくり有限会社きんもくせい 天川 佳美
大震災の10日後に結成された「阪神大震災復興市民まちづくり支援ネットワーク」の呼びかけでスタートした種まき活動「ガレキに花を咲かせましょう」は、1995年5月から2年間続きました。県外からも思いがけない花やみどりの支援をいただきました。
まず、1995年12月に「阪神緑花再生プロジェクト支援奄美・沖縄委員会」が発足しました。この団体は、沖縄県緑化種苗協同組合青年部を主体としていて、翌年3月末に遠く沖縄の地から“日本列島さくら駅伝”の走者にカンヒザクラや琉球ツツジの苗木、テッポウユリの球根等を託して運んでくださいました。その後も何千もの苗木、球根などをフェリーで届けてくださいました。
また、同年2月から愛知県の角田ナーセリーを母体とした花苗生産業者の結成グループは、東海地方で荷を降ろし阪神間までの帰り道に荷台が空になるトラックをボランティアとして募り、数万ポット単位で年2回(春と夏)7年間途切れることなく無償で花苗を送り続けてくださいました。届けられたパンジー、ビオラ、ストックなど色とりどりの花苗が、被災が少なかった三田市の県立人と自然の博物館敷地に運ばれました。それを各地の住民や支援者達が苦心して各地域へ持ち帰り、庭先や街角を彩り、街と住民を活気づけました。
このような県内外からの支援は、住民自らが地域活動に取り組むきっかけをつくり、さらに専門家を奮い立たせました。そのひとつ、 研究者やコンサルタント、造園業者、行政担当者などが、一般市民や他のグループとも連携して緑花支援ネットワーク「阪神グリーンネット」 を1996年2月に立ち上げ、復興まちづくりをより進めるために動き出しました。
また、1997年3月、兵庫県では建築家安藤忠雄氏をはじめ、県がバックアップする「ひょうごグリーンネット」が開設され、自宅再建に取り組む人たちへ苗木2本をプレゼントするという企画が始まり、県内の緑化を進める一助となりました。
各地では復興事業や自力再建が続き、元以上のまちへとそれぞれの住民が専門家とともに知恵をだしあい、激しくも長い議論を闘わせながら、自分たちのまちづくりへと1歩を踏み出しました。