失われた花の復活によるまちづくり 

兵庫県立大学教授 田原 直樹 

まちのシンボルとしての花木 

あなたがお住まいの市や町の花 (市花、 町花)をご存知でしょうか。花だけではなく樹木(市木、町木) もあります。 花や樹木が、 まちのシンボルとして使われるようになったのはいつごろなのかわかりませんが、どこのまちにも住民に親しまれる地域を代表する花木があります。 
県立人と自然の博物館が立地するニュータウン、フラワータウンでは、地区にさまざまな花木の名前がつけられています。 花言葉が示すように、もともと花木には強い象徴性があり、 まちのイメージや未来が花木に託されているのです。 
個人のレベルでも同様に、家紋の形で花木に家のアイデンティティを託してきました。 もちろん家紋は花木に限るわけではありませんが、 花木の紋はもっともなじみ深い家紋のイメージといってよいでしょう。 
花木は、古くからアイデンティティのよりどころであり、シンボルであったことがわかります。 

まちのアイデンティティの形成 

これからのまちづくりの課題の一つに、まちの個性の形成があります。 かつてあった地域性が失われ、どこでも似たような景観となってしまった現在、わがまちらしさを取り戻すことは、みずからのまちのアイデンティティを形成することでもあります。 

大阪市福島区では、歴史的な花の記憶を頼りに、まちづくりに取り組んできました。 「野田の藤」といってもピンとこない人が多いと思いますが、 この地域はかつて「吉野の桜」 「高雄の紅葉」と並び称されたほどの藤の名所でした。 往時の景観は、江戸後期に出版された『浪花百景』に見ることができます。 その後、牧野富太郎博士によって「ノダフジ」と命名されるに至りますが、空襲による被害などでほとんどが消失し、忘れられた存在になっていました。
70年代に入ると、地元の人びとの手によって復興が進められ、公園や小学校の校庭などにフジのある景観が戻ってきました。 子どもたちのふるさとの原風景にフジが復活したことを意味します。

文化的景観をめざして

文化財保護法の改正により、宮沢賢治ゆかりの地が国指定の名勝の扱いを受けるなど、 文化的景観が注目を集めています。 ノダフジのようなものが、 どこのまちにでもあるわけではないと思いますが、 武蔵野市では、100年後にすべての小学校の校庭に巨樹がある景観形成をめざしています。 花木は未来の文化的景観をかたちづくる資源としての潜在力を秘めているのです。 

2007年4月 花緑センターだより 1号より

平成19年度(2007)花緑センターだより(PDF)